うちのパンは、絶対に売れる


株式会社 日と々と

代表取締役社長 山本 拓三

1977年生まれ。大学卒業後、商社、不動産会社を経て独立。大赤字のベーカリーを買い取り、行列のできる人気カフェに育て上げた。

若い女性を中心に大ブームを巻き起こした「パンとエスプレッソと」「フツウニフルウツ」などのブランドを多数立ち上げる。2023年現在、インスタグラムのフォロワー総数は、直営店だけで14万人以上。

取材・執筆:テックベンチャー総研


高級食パンブームの先駆けだった

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「うちのパンは、絶対に売れる」

 

 そう信じていたからこそ、たとえ毎月100万円以上の赤字が出ていても、突き進んでこられたのだと思います。

 

 日本で「高級食パン」ブームが起きて、久しいですね。高級食パンとは、耳までしっとりやわらかく、とろけるような甘みと口どけが特徴の、少しリッチな食パンです。「乃が美」や「銀座に志かわ」など、一度は目にしたことがある方もいるかもしれません。高級食パンは、2013年にセブン-イレブンが発売した「金の食パン」が火付け役と言われています。


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 実は、その前から販売していたのが、「株式会社日と々と」のカフェ「パンとエスプレッソと」で取り扱っている「ムー」という食パンです。ムーはフランス語で「やわらかい」を意味します。

 

 ムーは当社のパン職人、櫻井正二が材料の配合を間違ったことがきっかけで誕生しました。

 

 そのため、通常のパンと比較して、とんでもない量のバターが含まれています。それが、手に取るだけで潰れてしまいそうなふんわりした仕上がりと、独特のもちもち食感、バターの香りが後を引く、芳醇な味わいを生み出しています。現在は、当社の看板商品の一つです。


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 いまでこそ、水分量を多く含んだ食パンはたくさんあります。でも、当店のムーは2009年から販売を始めているので、草分け的な存在だったのかな、というふうに思っています。

 

 そんなムーをひと晩、卵液に浸し、パン用のオーブンでじっくり焼き上げる「鉄板フレンチトースト」も人気商品です。ムーはとてもきめが細かいので、時間をかけないと卵液が染み込みません。時間をかけて味を浸透させることで、外はカリッと、中はとろとろのカスタードクリームのような状態になります。

 

 15時から提供を開始しているのですが、スタート前からたくさんのお客様で行列ができてしまうことがあります。このフレンチトーストがヒットしたとき、店舗によっては、整理券を配布していました。ところが、お客様がつめかけ、15時前には券がなくなってしまうこともしょっちゅうでした。


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  当社は、特に女性のお客様に多くご利用いただいています。インスタグラムで「#パンとエスプレッソと」を検索すると、2023年現在で、14万件以上の写真が投稿されています。フレンチトーストと、自家焙煎しているコーヒーを一緒に写真に撮って、インスタグラムに上げてくださるお客様もいらっしゃいます。

 

 ありがたいことに、テレビや雑誌など、さまざまなメディアにも取り上げられています。京都・嵐山にある店舗では、紅葉などのハイシーズン時は、パンとコーヒーだけで2000万円を売り上げる月もあります。


安泰なサラリーマン生活から1億円の借金


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 現在ではたくさんの方にお越しいただけるようになったパンとエスプレッソとですが、当初は本当に大赤字続きの、超不採算事業でした。

 

 もともと、私は不動産会社で働いていました。その会社では飲食事業も手がけていて、パンとエスプレッソとの前身となるベーカリーも、その一つでした。

 

 そのころから、ずうっと赤字が続いていたんです。本業の不動産業では利益が出ていたので、それで補填しながらベーカリーの運営を続けていました。


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 とは言うものの、会社として、その状況を放置するわけにはいきません。僕は当時、経理部門の責任者でした。事業を撤退させるかどうかの判断をするのも、僕の仕事でした。これ以上赤字を出し続けるわけにもいかないので、あるとき、そのベーカリーを閉店しようと思ったんです。

 

 けれども、僕はそのころ大阪にいたので、それまでそのベーカリーのパンを食べたことはありませんでした。味を知らないのに、一方的に「もう店を閉めろ」と言うものどうかと思い、一度、礼儀として東京にパンを食べに行ったんです。これが、ムーの生みの親、櫻井と出会うきっかけでした。


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で、そのパンがびっくりするくらいおいしかった。

 

 僕はパン職人でも、ものすごく食通というわけでもないのですが、パンの歯切れのよさ、噛むほどに広がる味わいは、これまで体験したことのないものでした。「これ、場所が合っていないだけで、認知さえ広がれば売れるんじゃないの?」。そう思ったんです。

 

 このできごとがきっかけで、その後、しばらく店を存続させますが、結局、経営は上向かず、ベーカリーは閉店となりました。3000万円かけてリースした製パン用機材など、借金だけが残ってしまいました。


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 お金は返さなくちゃいけないし、働いていた従業員だって職を失うことになります。そこで、いったん東京の表参道付近に新しいコンセプトのカフェをオープンさせることにしました。たまたま、自社の東京オフィスの1階が空いていたんです。2009年、パンとエスプレッソとの始まりです。

 

 結論を言うと、パンとエスプレッソと1号店はうまくいきませんでした。でも、再起動までして、解散するのも無責任です。「うちのパンは、絶対売れる」と信じて、僕が外食事業を買い取る形で、会社から独立しました。

 

30代にして、1億円の借金を背負うことになりました。