活字という上質なフィルターで出版革命を起こす


株式会社22世紀アート

代表取締役社長 向田 翔一

2014年創業。自費出版を手がけ、出版冊数は6000冊を超えた。契約している作家人数は約2600人。「みんなを幸せにする」をビジョンに、印税を明確化するなど自費出版の構造改革をしてきた。2023年度の売上高は4億円を超えた。

1982年生まれ。大学卒業後、音楽業界やアート業界を経て、32歳のときに起業。「自費出版に最も取り憑かれたのは僕」。自費出版を通じて出版革命をめざしている。

取材・執筆:テックベンチャー総研


僕の使命はインディーズの支援

 そもそも本って何かというと、小学校の時の不運な帰り道だと思うんです。たまたま何かの弾みで、クラスの中でも全然興味のない、話したこともないようなヤツと一緒に帰ることになる。それです。

 

 家までの帰り道、ずっと気まずい感じかなって思うじゃないですか。ところがそいつがポロッと言ったことが、何だか面白かったりする。そうすると、子どもながらに価値観が広がるっていうか、「へー」ってなる。つまり、世の中にはそういう、自分と違うヤツがいるんだってことがわかれば、本はそれでもう十分。何か学ぶとか、スキルアップするとか、そういうものじゃないと僕は思っています。

 

 小学校の頃って、人間関係が混沌としていましたよね。それが中学、高校と進むにつれて、ヤンキーとかギャルとかオタクとか、タイプ別に別れていく。同じジャンルの人が集まって、似たもの同士で固まろうとする。それが成長っていう人もいるけど、本当の成長っていうのは「この世にはわからないものがあって、わからない人がいる」ってわかること。それがわかればそれでよい―それが僕の根本的な生き方です。


 自費出版の作家さんは全国にいるので、創業した頃は1年に100泊とかして、作家さんに会いにいきました。実績のない会社ですから。

 

 夜、地方の繁華街を歩いたりすると、カラオケ屋の前にギャルとゴスロリと普通の格好をした女子たちが一緒にいたりするんですよ。人口の母数が小さいから、意外とみんなが一緒にいる。そういう光景を見かけるたびに、人間ってそれでいいんだ、それこそ本質だって思っていました。

 

 役目って、とても大切だと思っています。僕はインディーズの支援に価値と可能性を感じ、その役目をずっと担ってきました。22世紀アートの使命は、新しいメジャー作家をうみ出すことではありません。自費出版の世界にいる作家さんたちの活動しやすい場をつくる。その役目を果たしたいと思ってきました。

アンチメジャーというわけでは決してないです。だけどメジャーを支援する仕組みは、とても整っていて、インディーズを支援する仕組みは整っていない。そのことを最初に入った音楽業界で学びました。次に行った美術の世界でも、画家を支援する仕組みがどんどん機能しなくなっていました。そこで僕なりに支援する方法を考え、起業したのが「22世紀アート」です。あとで詳しく書きますが、その会社が電子書籍の自費出版に特化することになったのは、1人の画家からの要望があってのことでした。

 

ここまで決して順調だったわけではないです。

 お金に目がくらんで、そればかり考えていた時期もありました。コロナ禍では大変なメンタルエラーも経験しました。社員に会うのも嫌で、会社をたたもうと本気で思いました。それでもなんとか進んで、今は「僕が面白いと思ったことが利益になる」という自信を持っています。


画家を支援したくて起業

 結局、人が好きなんです。学生の頃はよく、電車に乗って誰かが話すのをずっと聞いていました。ただそれだけのために、何往復もして。一般の人っていうか、普通の人っていうか、そういう人の話を聞くのが好きです。本を読むのでも、人物伝が好きです。

 

 不格好なものが好きなんだと思います。人間って、完璧というのはありえないじゃないですか。どんな偉人の本を読んでも、そこに不格好さがある。つじつまが合わない感じ、合わないからグッとくるというか、それが僕、インディーズ大好き人間です。

 

 工学院大学を卒業して、レコード会社に入りました。街のレコード屋さんみたいな会社ですが、年間12億円も売り上げていました。海外のアーティストの権利を買ったり、国内のアーティストのプロデュースもしたりしていました。

 

 ワーナーやビクターなどの大手レーベルと組み、アーティストを売り出す仕事もしました。Product(製品)、Price(価格)、Place(流通)、Promotion(販促)の4P分析を徹底的に学び、起業後は自費出版の作家さんへの企画書に使いました。


 工学院大学を卒業して、レコード会社に入りました。街のレコード屋さんみたいな会社ですが、年間12億円も売り上げていました。海外のアーティストの権利を買ったり、国内のアーティストのプロデュースもしたりしていました。

 

 ワーナーやビクターなどの大手レーベルと組み、アーティストを売り出す仕事もしました。Product(製品)、Price(価格)、Place(流通)、Promotion(販促)の4P分析を徹底的に学び、起業後は自費出版の作家さんへの企画書に使いました。

 

 レコード会社で強烈に感じたのが、マニアックな分野になればなるほど、インディーズに良いミュージシャンがいるということでした。大手レーベルの人たちは、そういう場所に決して足を運びません。これはうまくいけば、いいビジネスになる。才能あるミュージシャンを支援する仕事をしよう。そう思いました。

 

 ところがやってみてわかったのは、ミュージシャンには「売れない美学」があるということでした。大衆に理解されたらミュージシャン生命は終わり、そんな感覚です。こちらが支援しようとしても、プライドが上回るのでしょう、本気で売れにいこうとしないんです。


  5年ほど在籍して、次に飛び込んだのがアートの世界でした。全国の美術館で美術展を企画する社団法人です。入ってみると、美術業界は「東京芸大卒」だけが正解一択の世界だと悟りました。 たとえば有名百貨店の美術部に就職できるのは、芸大卒の人だけです。院展、日展といった公募団体の理事もそうです。どんどんギャラリーが減っているという現実もありました。画家を支援する仕組みがなくなっていたのです。

 

 絵をたくさん見ているうちに、使った絵の具の量がわかるようになりました。絵の具って高いんです。それなのにギャラリーがつける値段は安くて、絵が売れても絵の具代さえペイできません。

 

 これはあんまりだ、そんな世界を変えられるのは理系出身の自分だけだ。そう思い、画家を支援する仕組みを作ろうと、社内ベンチャーに応募して「22世紀アートクラブ」を立ち上げました。成功する自信があったので、独立することにしました。2014年12月、「22世紀アート」を創業しました。


 目をつけたのは画集です。画家って絶対にパレットを洗わないんです。絵の具を重ねて重ねて出す色は、継ぎ足し継ぎ足しの“秘蔵のたれ”みたいなもの。それを4色分解で印刷して再現しようとしたら、すごく費用がかかります。

 

 デジタル印刷なら、制作コストはぐっと抑えられます。レイアウトも固定して、差し替えるだけにしました。絵そのものは売れなくても、画集は売れる。利益も出て、ビジネスとしては順調だったけれど、創業3ヶ月で気づきました。画家にも「売れない美学」があったんです。これはミュージシャンと同じだ!と思っていたとき、1人の画家に出会いました。これが僕の転機になります。


大手出版社がつくった“残骸”を復活させた

 その画家は「画集ばかり出してないで、僕の小説を本にしてくれないかな」と言ったのです。画家にはエッセーや小説を書いている人が案外と多い。その画家も自費出版をしたけれど、1年で契約が切れ、在庫を大量に抱えていました。それでもまだ本を出したい。そういうマインドだったのです。

 

 「売れることを諦めていない人」というのは、「一夜にしてスター作家になると思っている人」とは違います。自費出版本を出す人は男性が多く、ほとんどが「奥さん決済」です。つまり、出版のために出した費用が回収できれば、奥さんに次の本を出すための費用を決済してもらえる。それを諦めていないのです。

 

 思えばミュージシャンも画家も、「売れましょうよ!」という僕の思いをよける人たちでした。でも、自費出版の作家さんたちは僕の思いをよけずに、真正面から受け止めてくれる。これはすごいことだと思って、22世紀アートは自費出版の電子書籍化に特化することにしました。


 最初にしたのが、国会図書館に行くことです。自分と妻、あと2人。合計4人の会社でした。制作の1人が会社で留守番。他のメンバーは自費出版の本を借りては読みまくりました。そこでわかったのは、大手出版社が手がけた自費出版本はほとんどが雑に作られていること。自己啓発本なのに、小説みたいなタイトルだったり、表紙が明らかにイメージと違っていたり。

 

 大手出版社に入った人で、自費出版部門に好き好んで配属される人はいないのではないでしょうか。その点、僕はインディーズ大好き人間です。音楽も絵も、アイデアで売ることをずっと考えてきました。どうすれば売れるかを本気で考え、企画書を作ります。自費出版は奥付に連絡先が入っていることが多いですから、まず電話をする。本人にさえつながれば、9割の人が会ってくれました。

 

「出版社」でも「元出版社」でもない「22世紀アート」という、まだ1冊も出版していない会社なのに、とにかく作家さんと会って、こうすれば売れると思いますと話をしました。会えば半分くらいの人が出版契約をしてくれる。すごく順調なスタートでした。


 2014年から15年当時、電子書籍の専門会社がどんどん増えていました。ブームのような感じでウェブ制作会社、印刷会社などが次々参入しましたが、自費出版の出版社は1社もなかった。僕らはそれを専門とし、大手出版社が“片手間仕事でつくった残骸”を復活させていく。自費出版本に真正面から向き合い、売れる状態にしてあげたい。その気持ちだけで、どんどん突き進みました。


地平を変えた「キンドル・アンリミテッド」

 印税の支払いなども、ケースバイケースで曖昧なことが多いのが自費出版の世界です。22世紀アートは50%払う。作家さんに還元して、もう1冊出してもらえるようにしたいと思っていました。頭にあったのは「無駄な本」です。自己啓発本のように、「○○がわかる」というのでなく、「わからない」にもっと触れてほしい。だから自費出版を量産したい。それが僕の志、思いでした。

 

 下手な絵っていいじゃないですか。そこにある、一瞬のきらめきがとても大切だと思います。有用な「情報」に特化した本は商業出版にお任せして、自費出版は「無駄」に徹する。紆余曲折を経て、今、またそれを強く思っています。

 

 順調に契約は取れて、電子書籍化していきました。途中から既存の出版社も自社の自費出版本を電子書籍にする動きをするようになってきました。そういう会社の本も、うちは電子化していました。著作権は作家にあり、出版権が切れていれば問題ないと判断してのことです。


 音楽業界では版権切れの音楽を他社から出すのは、よくあることです。ある会社の社長に呼び出され、業界マナーに反していると強く言われたこともありました。「お互いの正義が違うので、いくら話しても時間の無駄」と答えました。自費出版本を売れる状態にする。それが自分の役目だと突き進みました。

 

 そうしているうちに著作権を50%以上にする会社が出てきました。作家さんに連絡すると「前に出したところで電子化する」という反応も増えてきました。ですが、それ以上に問題だったのが、電子化しても売れなかったことです。紙の本を出して、売れなかった経験のある作家さんたちは「電子書籍にすれば、いつでもどこでも読めるから売れる」と喜んで契約をしてくれたのですが、実際に電子本を買う人が増えたわけではありません。

 

 僕らも「どうせ売れないだろう」と思いながら営業をするようになり、社内の雰囲気が悪くなりかけていました。僕自身、どうすれば売れるだろうと、半分路頭に迷いながら頭を悩ませていた。そんな時に登場したのが、Kindle Unlimitedです。


 2016年8月、日本でのサービスが始まりました。月額980円で読み放題、10冊までダウンロードできました。その当時、1ページめくると2.0円が作家さんの収入になる仕組みでした。ここに商業出版の本がほとんどなかったんです。うちにとっては本当にラッキーで、作家さんたちにKindle Unlimitedからの収入が入るようになりました。そこからの収入で、当初の出資金を賄える。そういう作家さんも出てきたんです。

 

 これが僕の理想でした。先ほどは「無駄な本」と書きましたが、「ニッチな本」と言ってもいい。そういうものを世に残しておくためのプラットフォームを作りたいと、ずっと思っていましたから。


 才能がなくて売れないのは、自己責任だとずっと思っています。だけど、売れない理由が「知られてないから」という状況はなくしたい。プラットフォームとは、平等に知られるための仕組み。音楽業界の場合、TSUTAYAにインディーズのCDも置いてあるし、ディスクユニオンもある。仕組みはあります。

 

 そういう仕組みがなかった自費出版の世界に、Kindle Unlimitedがきた。地道にやっていたら、プラットフォームが飛び込んできたのですから、超ラッキーでした。実際、Kindle Unlimitedが来なければ、自費出版からは早々に撤収していたと思います。転機を逃さず、Kindle Unlimitedで売るためのさまざまな戦略を実行していきました。


ひらめいた「売れる仕組み」

 利用しまくったのが、アマゾンが実施する無料キャンペーンです。無料でダウンロードできる5日間にランキング上位に入ると、アマゾンのSEO(検索エンジン最適化)で上位表示されるんです。

 

 そこで僕は、作家の連盟を作りました。本を出版した作家さんのグーグルアカウントを会社で作り、Kindleを設定したタブレットを送りました。無料キャンペーンが始まる時にお知らせし、作家の方々に22世紀アートの本をとにかくダウンロードしてもらう。この「連合軍」のおかげで、トップ10くらいまでに入る。そういう仕組みです。

 

 連合軍から一般読者への波及効果は本によって違います。2023年4月までの累計出版点数は5352冊になりました。作家さんの総数は3000人を超えています。なので22世紀アートから本を出した瞬間、無料キャンペーンの1位から3位まで取れる。そういう状態はできています。

 

 あとはアマゾンのレビューの活用です。サクラではない純粋な読者の場合、本以外の商品もレビューを書いている人が多いんです。だから、22世紀アートの本をレビューしている人を追跡し、買っているものが何なのか突き止めます。それが紙オムツなのか、スコッチウイスキーなのか、何を買っているかで性別や年齢がだいたいわかってきます。読者層が見えてくるだけでなく、次にレビューで使っている言葉を見ていくと、その読者層が胸に響く言葉がわかります。その言葉を分析して、タイトルや検索ワードに反映していきました。


 こういう仕組みを作ったことで、契約時にいただいたお金を回収できる作家さんが増えてきました。すごく充実感もあったし、ビジネスも拡大しました。14年12月からの1期に売上高は901万円でした。Kindle Unlimitedがフルに利用できた16年12月からの3期は4133万円、18年12月からの5期には1億円を超えて、1億5166万円となりました。右肩上がりです。でも、僕にとってはいいことばかりだったわけではありませんでした。

 

 まず作家さんが変わりました。初期投資を回収した作家さんに「素晴らしい本だから、よく売れました」と言うと、「元が取れただけだよね」と反応するようになったんです。これまでは「少しでも本が広まってもらえればいいんです」と言っていたのに、「これで売れたって言われても困るんだよね」と。「売れたのは俺のおかげ」というマインドは誰にでもあるのかもしれませんが、人が変わる様子を目の当たりにして、少し心が萎えました。


 当時はいつでもサラリーマンに戻れるような、半分くらいフリーランスな感覚でした。僕と妻、それぞれの親から50万円ずつ借りて、資本金100万円で調布市で開業、すぐ杉並区久我山の1軒屋に移りました。作家さんを訪ねて全国を回ってはいましたが、会社にいる時はカレーライス作りながらミーティングしたり、昼休みに4人それぞれプレイステーションで遊んだり。いい加減なところがありました。

 そんな状態でもビジネスが順調だったので、調子に乗っていったのでしょう。だんだん仕事への気持ちがマンネリ化してきたのです。このままではダメだから、会社を大きくするかサラリーマンに戻るか決めよう。そう思って、大きくする方を選びました。それならサラリーマンたちが必死に働く戦場に行こうと、港区西新橋に事務所を移したんです。久我山から3年経った2018年5月でした。


 

 それからは作家さんの言うことは断らず、地道にやり続けました。5年が過ぎて、6年目に入ったところで、「もうあと5年、これをやり続ければならないのか」という感覚に襲われました。なぜ5年スパンで考えたのか自分でも不思議です。でも、その感覚とともに、何のために仕事をしているのかわからなくなってきたんです。

 当時はちょっとした贅沢もできるようになっていました。それもあって、「お金を稼げればいいや」という気持ちが徐々に芽生えてきました。その頃ちょうど、あるコンサルタント会社と契約をしました。

 

 当時はちょっとした贅沢もできるようになっていました。それもあって、「お金を稼げればいいや」という気持ちが徐々に芽生えてきました。その頃ちょうど、あるコンサルタント会社と契約をしました。


「地道第一」から「金の亡者」に変貌した理由

 自分がインディーズ大好き人間だということ、「無駄」が必要だと思っていることなど「理念」についても最初は話していたのですが、コンサルタントの立ち位置は「理念」より「利益」です。「理念は御社でしっかり持っていただき、こちらは利益を増やす支援をします」。そういう反応でした。

 

 体育会系ノリというのか、上を輝かせて下のお尻を叩くような、そんなコンサルタント会社の手法もあって、僕も社員にインセンティブをたくさん与えるようなりました。月収100万円を超える社員もいて、もうとにかくインセ、インセで市場をとっていく。そんな会社になっていました。

 6年目から7年目になる頃には、自費出版本で電子書籍といえばうちが一番。そういう状態になっていたので、「ここからは一気に市場を全部取りにいきましょう」という流れになりました。コンサルタント会社もそうでしたし、自分もそういう判断をしました。

 

 社員も40人くらいまで増えていました。コンサルタント会社からは右肩上がりの経営計画を求められます。社員もこれまでの自信があるから、ボーナスが少ないとか不満を言うようになります。もっと効率的に営業をしなくてはと、調査をする人、作家さんのアポイントを取る人、交渉する人……と分業することにしました。そのあたりから組織構造を考える仕事ばかりをするようになり、作家さんと触れ合う時間もほぼなくなりました。


 6年目から7年目になる頃には、自費出版本で電子書籍といえばうちが一番。そういう状態になっていたので、「ここからは一気に市場を全部取りにいきましょう」という流れになりました。コンサルタント会社もそうでしたし、自分もそういう判断をしました。

 

 社員も40人くらいまで増えていました。コンサルタント会社からは右肩上がりの経営計画を求められます。社員もこれまでの自信があるから、ボーナスが少ないとか不満を言うようになります。もっと効率的に営業をしなくてはと、調査をする人、作家さんのアポイントを取る人、交渉する人……と分業することにしました。そのあたりから組織構造を考える仕事ばかりをするようになり、作家さんと触れ合う時間もほぼなくなりました。

 

 システマチックにしたつもりが、全くうまくいかなかったのです。

 

 何が自分の仕事なのか見失っていった一方で、ある一部上場の転職関連会社から傘下に入らないかというお誘いが来ました。他にも上場企業の出版部門を一緒にやらないかという話もありました。


 自費出版はそもそも、ネガティブに見られがちな業界です。お金を取って、作って終わりとか。だから実績を出すまでは、目立たないようにしようと思っていました。バズったりしなくてもきちんと事業ができれば、持続性の高い事業だな、と。そう自分に言い聞かせ、そのように地道第一で経営してきました。

 

 ところが、事業がうまくいくと、いろいろなところからお声がかかる。コンサルがほめてくれる。M&Aをいつしますか? イグジットも含めて考えましょう。そんな言葉をくれるのです。作家さんや社員からの不平不満があって、何がしたいかわからなくなっていた時でもあったので、それは甘い囁きに聞こえました。その結果、お金に取り憑かれるようになっていきました。


 規模を拡大して、早く50億円売り上げないと。メディアに露出して、有名にならないと。そんなことばかり思うようになりました。コンサルタントの提案を一つひとつ吟味する、ましてや拒否するなどできなくなっていました。

 

 理由はいくつかあると思います。創業期から成長していく時の「落とし穴」もその一つです。

 

 創業期に必要なのは、マンパワー系プレイヤーです。とにかく社長のアイデアを信じて、その通りにひたすら働く戦士みたいな社員。自分の頭で判断するような切れ味のいい人だと、初動が遅くなるんです。だから指示待ちというかイエスマンというか、そういうメンバーを集めることになります。

 

 ところが会社が成長するにつれ、徐々に頭の切れる社員が入ってきます。創業メンバーは役員になっているから、社員の方が役員より優秀という構図ができてきます。これが社員に知られると、組織がもちません。そこでどうするかというと、社長がすべてをやろうとするんです。役員にはごく狭いところだけ任せ、社長がどんどん仕事を請け負う。請け負いまくると、どうなるか。会社のことをわかっているのが、社長だけになります。


 会社がどういう状況で、社員がどんな人間なのか。把握しているのが社長だけになる。役員に相談しても、会話にならない。つまり、誰にも相談する人がいなくなる。そういう時にコンサルタントの人が、抱きしめてくれるんです。「わかる、わかる、どの会社もそうだよ、君だけじゃない」って。安心して、「うちだけじゃないんですね。頑張れば大丈夫ですね」って、すっかりのめり込むんです。

 

 そうすると創業時の思いなど飛んでいって、生産性とか利益とか、そういうマインドになっていきます。どうしたら大企業になれるかということばかり考えます。早くフェラーリ買わなきゃとか。すると役員と社員が、自分の邪魔をしているように見えてくるんです。僕の計画は完璧なのに、できないのは役員と社員のせいだ、なぜできないんだ、僕があと100人いればいいのに……。


参入企業が相次いでも僕が負けなかった理由

 資本金を1千万円に増資して、2020年5月には本社を西新橋から中央区日本橋浜町に移しました。その頃考えていたのは、会社を大きくきれいにして、売ろう。そのお金でまた違うことを始めよう。そればかりでした。

 

 売るための会社作りと積み上げる会社作りは、全然違います。理念などより、できるだけ属人的な要素を排除し、誰にでも回せそうに見える仕組みを作るんです。スケールは小さくなっても勝手に回る感じ。そういう方向にシフトしました。

 

 コンサルタントにのめりこんだ理由は、他にもあります。それは、自分の人間性です。音楽業界の同期がアマゾン、アップル、ヤフーといった会社に転職していきました。僕は音楽以外の分野でも、もっとアーティストを支援したい。そう思い、アートの世界に行きました。だけど心のどこかで、大企業で活躍する同期たちに対し出遅れている感覚を持っていたんですね。大手で働いたことがないから、そこへの憧れもありました。上場会社から傘下入りを打診された時も、舞い上がって、自分を見失った面があったと思います。


 結果的に、上場会社からの話は断りました。その理由は、コンサルタント会社が反対していて、それに抗うと「迷惑かけちゃうな」という心理でした。断った後もその会社の役員が連絡をくれて、考え直さないかと言ってくれました。22世紀アートが良いビジネスモデルだ、ということだと思います。

 

 振り返ると、ずっと不安でした。どんなにいいビジネスモデルがあっても、それだけでは自信は出てこない。100%うまくいくことなどないですから。急にアマゾンが電子書籍を撤退したらどうしよう、来年もこの会社はあるのかな。そういう不安は結局、覚悟が決まっていなかったからだと思います。ビジネスモデルを作ったり、計算はできたりしても、信じきれていなかった。それが予想以上に形になっても、どこか上の空でした。


 伸びているといっても、1億円から2億円の売り上げ規模でした。僕だけかもしれないけど、すごく孤独でした。だからコンサルタント会社の存在はありがたかったし、社員の方々の言葉がうれしかった。スタートアップで売上10億円、20億円という会社には、もっともっと「落とし穴」があるような気がします。

 

 電子書籍事業には、IT企業をはじめいろいろな会社が参入しましたが、「なんかおいしそう」「うまくいきそうだね」くらいの思いで入ってきた会社から次々と退場していきました。結局、電子書籍に一番取り憑かれたのは僕だった、ということです。今はわかっていることですが、そうわかるまでは本当に大変でした。


突然発症したジェットコースターの浮遊感

 そんな中の2021年、僕はメンタルエラーを起こします。引き金はコロナ禍でした。会社はリモートワークが中心になり、僕は「この会社を大きくして、きれいに整えて売ろう」と思い込み、ひたすら働いていました。社員とは疎遠になりました。

 

 その間に、社員が僕ではなく他の役員の言うことを信用するようになっていたんです。春だったと思いますが、あるズーム会議でイヤホンをバーンって投げました。「なぜ僕ではなく、バカな役員の言葉を信じるんだ」と思ったからです。その瞬間、頭の中がバーンと爆発しました。

 

 もう訳がわからない、錯乱状態です。ジェットコースターが降りる時の浮遊感、それをもっと強烈にしたような感覚が、ずっと続くようになりました。理性が保てなくて、妻に枕を持ってもらい、それをバスッバスッと殴りました。それで少し落ち着くと、涙が止まらなくなりました。妻がハグをしてくれて、体温が上がると少し落ち着く。でもまた浮遊感が来て、枕をバスッバスッする。

 

 午後7時からの会議を途中で抜けた後、明け方の4時まで枕、涙、ハグ、枕、涙、ハグ。それを繰り返しました。その頃、めちゃくちゃ痩せていました。会社をきれいにして売るためには、何もかもストイックじゃなきゃダメだと思い、食事はほとんど取らず、たまにゼリーを口にする。そんな食生活でした。完全に、おかしくなっていたんです。


 コンサルタントの人からも、少し休みましょうと言われました。それで妻と沖縄に行ったんです。でも会社は僕が全部やっていたので、結局、リモートワークばかりしていて、メンタルの改善にはなりません。沖縄にいる間もずっと手が震えていました。

 

 東京に帰って、耳が聞こえなくなっていることに気づきました。突発性難聴で、処方してもらった薬を飲むと発作が起きるんです。救急車を呼んだこともありましたが、コロナ禍で来てくれませんでした。信号の光を見て発作が起きることもあって、死んだ方が楽かなあと思いながら、それでも仕事をしていました。

 

 動いている方が楽なのでウォーキングして、エアポッドしながら指示を出して、徘徊しました。歩く途中に神社があると「治してください」とお願いしました。自分のことを一つ一つ振り返り、役員をないがしろにしたからこうなったのだと反省し、会社で役員を抱きしめて「ごめんなさい」と謝ったこともあります。もう、わけわかんなかったです。

 

 心療内科には「行ったら終わる」と思い、ずっと行きませんでした。メンタルエラーを起こしていることを認めたくなかった。会社を潰すわけにはいかない、自分で戦わなくてはと考えていました。最終的には心療内科に行ったのですが、薬を処方してくれるだけでほとんど話も聞いてくれませんでした。


 この間も営業成績は落ちませんでした。19年12月からの6期の売上高は1億5802万円、20年12月からの7期が2億3373万円、21年12月からの8期が3億2347万円です。ビジネスモデルは、売ろうとしていたくらい強固でしたし、コンサルタント会社の言うことを聞いていると、数字は伸びます。僕はメンタルエラーを起こしながらも、数字を伸ばす作業に徹していました。

 

 社員はインセンティブのために働いていたと思います。それでも数字が上がれば自信がつく。僕に対しても、いろんなことを主張してくるようになりました。ベンチャーに興味を感じ、大手企業から転職してくる人も増えました。彼らからは「大手企業の常識」が社内で広まり、「うちにはその仕組みがない」と言われました。


 僕よりずっと出版業界に長い人もいて、僕も「業界の常識」にも理があることはわかるんです。僕には僕の思いがあったけれど、その頃は「利益追求モード」になっていました。「僕が我慢して社員を働かせれば、利益が上がる」とだけ考えるようにしたのです。

 

 いま思えば、いろんなことから逃げていたのだと思います。社員と話せば、いろいろ言われて、答えなくてはならない。それが嫌というか怖くて、社員と会うことを避けるようになっていました。そんなふうに現実と向き合わず、自分を追い込んでいたから、最後にパンクしてメンタルエラーを引き起こしてしまったのだと思います。

 

 ちなみにうちは今、リモートワークをほぼ禁止にしています。リモートワークは職人的な仕事だとうまくいきます。技術系もそうです。でも、うちの会社だと、やるべきことしかやらないようになるのです。生産効率ばかりに目がいって、作業主体の会社になります。コロナ禍でリモートワークをした結果、うちはめちゃめちゃ弱くなりました。アイデアとか奇跡って、無駄なものから生まれるものです。生産性が上がっても奇跡は起きません。